グラスの雫№6 ブラックニッカその46
1962年、山本為三郎は、竹鶴政孝に連続式蒸溜機の導入を提案する。しかも金の心配は無用との言葉を添えて。いるんですね、こんな大人物。
カフェ式連続蒸留機の必要を常々考えていた竹鶴は感謝の念でいっぱいであったと想像できる。
1963年、ブレアー社製カフェ式連続蒸溜機の購入の決定。そして西宮に設置。
竹鶴がカフェ式連続蒸溜機にこだわったのは、その効率の悪さがウイスキー造りにプラスになると考えたからだ。不完全な蒸留は、穀物の香りや成分をスピリッツの中に残す。それを樽貯蔵して、モルトウイスキーに混ぜると新たな香りを引き出す。
1965年、そのカフェグレーンをブレンドしたウイスキーが誕生。
商品名「ブラックニッカ」。
新製品発表の席で、竹鶴政孝は次のように語っている。
「日本でモルトの完成がわが国のウイスキー史上で“第一の革命”とすれば、このたびの『カフェグレーン』の誕生は“第二の革命”といって決して過言ではないと確信します」
竹鶴はモルトウイスキーを造った。摂津酒造の阿部喜兵衛社長のイギリス留学のきっかけと寿屋の鳥井信治郎社長の力を借りて。そして、カフェグレーンは朝日麦酒の山本為三郎社長の助言と経済力の助けで。いずれも日本初。
「人徳でしょうか。その人が持っている運なんでしょうか」
藤田氏が語った。
西宮にあったカフェ式蒸溜機は、1999年、仙台へ移転。現在も稼働中。ブラックニッカへブレンドされている。
「竹鶴さんのアイデアと方向、思想は現在も受け継がれているんですね」
藤田氏は、静かに、ブラックニッカストレートを飲み下した。
ブラックニッカ完
カフェ式連続蒸留機の必要を常々考えていた竹鶴は感謝の念でいっぱいであったと想像できる。
1963年、ブレアー社製カフェ式連続蒸溜機の購入の決定。そして西宮に設置。
竹鶴がカフェ式連続蒸溜機にこだわったのは、その効率の悪さがウイスキー造りにプラスになると考えたからだ。不完全な蒸留は、穀物の香りや成分をスピリッツの中に残す。それを樽貯蔵して、モルトウイスキーに混ぜると新たな香りを引き出す。
1965年、そのカフェグレーンをブレンドしたウイスキーが誕生。
商品名「ブラックニッカ」。
新製品発表の席で、竹鶴政孝は次のように語っている。
「日本でモルトの完成がわが国のウイスキー史上で“第一の革命”とすれば、このたびの『カフェグレーン』の誕生は“第二の革命”といって決して過言ではないと確信します」
竹鶴はモルトウイスキーを造った。摂津酒造の阿部喜兵衛社長のイギリス留学のきっかけと寿屋の鳥井信治郎社長の力を借りて。そして、カフェグレーンは朝日麦酒の山本為三郎社長の助言と経済力の助けで。いずれも日本初。
「人徳でしょうか。その人が持っている運なんでしょうか」
藤田氏が語った。
西宮にあったカフェ式蒸溜機は、1999年、仙台へ移転。現在も稼働中。ブラックニッカへブレンドされている。
「竹鶴さんのアイデアと方向、思想は現在も受け継がれているんですね」
藤田氏は、静かに、ブラックニッカストレートを飲み下した。
ブラックニッカ完
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