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小説・パッションと指揮 その24

 宇宿允人が指揮棒をおろす。
 バリバリとトランペットの大きな破裂音。さっきとは全く違った音の世界が広がる。
『指揮者ってすごい。アドバイス一つでこんなにも違うのか』
 私は素直に驚嘆した。
 音を合わす。響かせる。細部まで聴こえる。
 こういった事とは全く違う次元の話。
 私はこの体験をしていたから今回の指揮者にクレームをつけた。
 実際、ラフマニノフのリハーサルに何の自己主張もオリジナリティーも感じなかったのである。
 
 スヴャトスラフ・リヒテルは日本の聴衆が素晴らしいと、生前言っていた。
 生演奏は、演奏家だけで成立するものではない。ホールの聴衆と一体化されて初めて芸術が具現化されると主張する。
 これを拒否したのが、グレン・グールド。自分の中に完成された音楽は即興性も瞬間的なインスピレーションも拒否したピアニストである。
 この対比的な二人のピアニストが互いに尊敬しあったのは不思議な話であった。

小説・パッションと指揮 その23

 私が尊敬する指揮者フルトヴェングラーは音を合わすなと言った。また逆に勝手に先に出るなとも言った。
 つまり、指揮者は指揮棒もしくは体で、もっと言えば念力で指示を出している。オーケストラは楽器を指揮者の思い通りに鳴らすように要求している。
 今回の林田勉はリハーサル中、指揮棒をほとんど振らずに、会場中を走り回って、タイミングのずれ、響きの充実をチェックし続けた。これではたして音楽ができるのか。
 音の響きだけで言えば、1980年、私が23歳の時。非常に貴重な体験をした。
 伊丹に陸上自衛隊中部方面音楽隊がある。そこの練習を見学する機会があった。
 曲はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲。まず、音楽隊の指揮者が棒を振る。吹奏楽だけでこの序曲を演奏するのは難しい。だが、音楽隊は非常に上手に演奏した。
「先生、お願いします」
 指揮者は指揮台を降りて、宇宿允人に指導を仰いだ。
 宇宿允人。私が知る人物の中で、最高の変人である。奇人と言ってもいいかもしれない。当時、関西フィルの前身であるヴィエール・フィルハーモニックの指揮者であった。
 指揮棒を軽く構える。力みなく棒を下す。すぐにストップ。
「トランペット。あー、向こうの壁をぶち破るつもりで鳴らしてください。はい、どうぞ」

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

小説・パッションと指揮 その22

「何を言いたいのか」下村先生の指摘。
 おおよそ芸術なるものはこの「何を言いたいのか、主張したいのか」につきる。
 また、人の心を動かさない芸術は存在しない、存在する価値がない。
 時空を超えて人々を感動し続ける芸術が淘汰されて残っていく。バッハしかり、ベートーベンしかり。
 音楽は空気を振動させ時間の流れを用いた芸術である。
 絵画は目に訴える。音楽は耳に訴える。
 耳は目よりも直接的に脳を刺激する。だからこそ、懐メロを聴くと瞬時に昔の光景が浮かんだり、その時の感情をなぞることができる。
 今回の指揮者はホールにおける音のバランスを気にした。また、合っているか、ずれているかも気にしていた。それを気にするの間は、人前で演奏する資格ナシと私は判断する。
 この音楽で、この表現で、聴きに来て下さっているお客様に感動を与えることができるかどうかを気にするのが演奏家であり指揮者である。
 だから、私は指揮者をつかんで怒鳴ってしまった。リハーサルの間、もっとしなければならないことがあったのである。
 

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

小説・パッションと指揮 その21

 阪急武庫之荘の家に帰る。夜中11時。家人は寝ている。ピアノの部屋に入る。蛍光灯。ピキシピ、と音を立てて明るくなる。
 ピアノの譜面台にベートーベンのソナタの楽譜が置きっぱなし。3週間で暗譜なんて、アホな自分には無理だ。でもしなくてはいけない。楽譜をぼんやり眺める。1時間、2時間。真夜中1時過ぎから音を出し始める。気がつくと朝の5時半。4時間少し音を出してフーガの手前までは暗譜できたような気がする。
 さて、寝るか。そのままピアノの横のソファーにごろんとなる。気が付くと8時。
 あーあ、また京都に行かなくては…。
 ほぼ毎日がこの繰り返しであった。そのころから私の平均睡眠時間は4時間程度。それが平気な日常生活。
 下村先生に28番のソナタを聴いてもらう。
「暗譜できたら持ってきなさい」
 先生は常に暗譜が前提だった。高校時代もバッハ以外、暗譜できてなければ聞いていただけなかった。
「1楽章から最後まで、何が言いたいの?さっぱりわかりません。ちゃんと整理して弾きなさい。時間がないのよ。じれったいわね」
 きついお言葉を頂戴してレッスンが終わる。
 先ほどの青井先生のじれったいわ、きー、の言葉で瞬時に思い出す。下村先生…。懐かしい。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

小説・パッションと指揮 その20

 昔の歌謡曲を耳にする。瞬間、その時代に記憶が戻る。その場にいた匂いまで思い出す。このような経験はないだろうか。
 まいにちまいにちぼくらはてっぱんのー。この曲を聴くと思い出す。
 およげたいやきくんは1975年の年末から大ヒットした。当時、私は大学1年生。河原町を歩いていると度々聴こえてくる。気持ちは焦っている。イラついている。ベートーベンのソナタ第28番を仕上げて試験で弾かなくてはいけない。早く家に戻って練習しなければならない。のに、体はパチンコ屋に向かう。球を穴に入れてはじく。こんなことをしている場合ではない。が、ジャラジャラの大騒音とおよげたいやきくんが、どこか心地よい。
 いや、心地よいはずなんてないのだ。逃げている。現実逃避。ショートホープを口にする。煙が目に染みて涙が出る。
 大学を出たのは4時過ぎ。時計は8時を指していた。そろそろ帰るか。儲けもせず、損もせず、ゆらりと立ち上がってパチンコ屋を出る。河原町はにぎやかだ。串カツ屋に入る。まだ帰ろうとしない自分。負けている。
「酒」
 透明なコップに入った菊正宗が出てくる。一気飲み。
「おかわり」
 2敗目はちびちびすする。
「お客さん、コースで?」
「いや、3種類ほど揚げて…」
 無言で串カツを揚げる店主。チッ。舌打ちが聞こえそうな不機嫌そうな動き。 
プロフィール

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  • Author:higemaster
  • 桜咲くころ=淡路島の地鶏焼きをメインに熊本直送馬刺し、鹿児島の親鶏、黒毛和牛のてっちゃん、ほか、おいしい一品料理を楽しめます。また、日本酒、焼酎、ワインがリーズナブルに楽しめます。
    ピアノバー・トップウイン=1935年製の古いスタインウェイのグランドピアノがたまに鳴ります。ワインを中心にカクテル、シングルモルト、日本酒、焼酎等できるだけ品質の高いお飲みものをそろえるように努力いたしております。
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