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小説・菜その172

「どこかで働いたことある?」
「はい。フレンチで働きました」
「ラタトゥイユって知ってる?」
 ラタトゥイユは采の得意料理である。マスター氏は采に野菜を正確にきっちりときざむように常に注意されていた。思えばラタトゥイユはマスター氏にとって苦々しく面倒くさい印象の料理である。
「いえ、聞いたことありそうな…」
「知らんの?」
「はい…」
「馬鹿じゃないの?」
「ふふふ。はい、馬鹿なんです」
 答えて笑っている由起子。
「じゃー、明日から働いて」
「え?いいんですか?」
「6時ね。6時にここに来て働く」
 履歴書も持ってくるように伝えて別れた。
『おもしろい、使える使える』
 満足げにうなずきながら階段を昇っていくマスター氏であった。
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小説・菜その171

 桜咲くころでは仕込みの真っ最中。マスター氏が連れてきた女の子に誰も注目することなし。スタッフは各自、自分の仕事を黙々とこなしている。
「履歴書は?」
「持ってないです」
「そら、そうだわな。座って」
 椅子に座った女の子、マスター氏をまっすぐ見る。
『ふむ。目がいいな』と感じるマスター氏。
「どこ?」
「あ、神戸女学院です」
「は?」
「1年生です」
「で、どこ?」
「和歌山出身で、今、下宿してます」
『!。かしこい。使えるかもしれん』
 具体的な質問内容でないのに的確に答える。
「名前」
「下野由起子です」

 

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小説・菜その170

 ピザアンドパスタトップウインはビルの2階にある。1階もマスター氏経営の店。名は桜咲くころ。出し物は焼き鳥と馬刺しである。はっきり言ってへんてこりんな名前だ。
 マスター氏が日本一の焼酎と認めている芋焼酎に万膳があった。認めているとは正しい表現ではない。尊敬している敬愛しているマスター氏。その万膳を醸していた杜氏の口癖から店名をいただいた。
『そつ(焼酎)は桜咲くころがうまい』
 杜氏の名は宿里利幸。秋に作った芋焼酎。半年寝かして春に飲むのがうまい、という意味である。
 夕刻、その桜咲くころの入り口に女の子が佇んでいた。
「店、5時からですよ」
「いえ、いえ。いえいえ」
 にっこり笑いながら否定する。
「ん?では?」
「このアルバイト募集の張り紙で…」
「ああ、働きたい?」
「はい。面接お願いします」
「ええよ、入って」
 だいたい何事にも適当なマスター氏は店内に招き入れて面接を始めた。

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小説・菜その169

 厨房手伝いに菜の下の弟、忠哉が入ることに。
 オープンすると菜の知り合いや以前働いていたカフェの客が来る。
 初日、非常に忙しく終わる。が、弟とのコンビネーションで停滞することなく料理を出せた。
 しかし、菜はピザに不満を覚えていた。
「マスター、ピザの酵母を変えたいのですが?」
『またか、菜の研究熱心には脱帽するな』
「で、どのように?」
「今は、ドライイーストを使っています」
「ふむふむ」
「生きてる酵母を使えばもっとふっくら仕上がるのでは、と思うんです」
「ふむふむ」
「代えてもいいでしょうか?」
「ふむふむ」
『何回も酵母を変えて研究してたのにまたまたかー』
 適当にバーを営んでいたマスター氏。菜の完璧主義がよく理解できない。
「菜の好きなようにしてよ」
「はい」
 大きな声で返事する菜。
 菜は不安であったが、初日が終わってこの店で正解だったような気がしている。このマスター氏も意外といい人っぽい。小さい時に元気いっぱいであった菜に戻りつつあった。

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小説・菜その168

 菜は店が始まるまでに何回も試作した。特にピザ。酵母いろいろ変えて発酵具合を研究。味も研究。伸ばし方はナポリ風にするのか、ローマ風にするのか。具は何を乗せたらよいか。今までの自分のレパートリーも見直す。田舎風パテは自信があったが、ここの食材でどのような味に変わるか。オーブンの具合はどうか。菜は気になったことを捨てれない。
「マスター、どうでしょうか?」
 何回も試食されているマスター氏。いいかげんうんざりしている。
「うんうん。これでいきましょう」
 早く終わらせたいと思うマスター氏はいつも同じ返事。
「前回とは塩の量を変えたのですが、そのあたりはいかがでしょう?」
「うん。そうだね。少ししょっぱくなったような気がします」
「いえ、塩は減らしたんです。それをしょっぱく感じるという事は…。それは香辛料に問題が…」
「あ、いやいや。そう言えば塩辛くないような気もしてきた…」
 味がわかる、というのは記憶力である。判断できる舌を持つのは必要最小限条件であるが、そこに以前の味を記憶していないと意味がない。ブラインドテイストできる人間はこの記憶力に長けているのである。
 マスター氏、その才能に恵まれていなかったと言えるであろう。
「菜、まかせるわ。自分で決めて。ね。わしにもうたよるな」
 マスター氏、すたすたと厨房を出ていく。

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  • Author:higemaster
  • 桜咲くころ=淡路島の地鶏焼きをメインに熊本直送馬刺し、鹿児島の親鶏、黒毛和牛のてっちゃん、ほか、おいしい一品料理を楽しめます。また、日本酒、焼酎、ワインがリーズナブルに楽しめます。
    ピアノバー・トップウイン=1935年製の古いスタインウェイのグランドピアノがたまに鳴ります。ワインを中心にカクテル、シングルモルト、日本酒、焼酎等できるだけ品質の高いお飲みものをそろえるように努力いたしております。
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